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瀬戸内屈指の漁場・沖家室島ってどんな場所?

沖家室島(おきかむろじま)は、山口県周防大島町の南に位置する「島のさらに先の島」で、面積はおよそ1㎢。開島400年を数える歴史ある島で、2021年現在の人口は約100名。未来に残したい漁港100選にも選ばれた風光明媚な場所です。地元の人は沖家室のことを「かむろ」と呼びます。

江戸時代には参勤交代の本陣が置かれた海上交通の要衝


海上交通が主流だった江戸時代には九州の大名などの寄宿地(参勤交代の本陣や朝鮮通信しの宿舎)でした。沖家室島唯一の寺・泊清寺(はくせいじ|1663年建立)は「海の本陣」「常念仏の道場」としての役割も果たしていました。

そのほか、御船倉跡(海上交通の警備を目的として毛利藩が作ったもの)や、御番所跡、高札場(毛利藩の要衝の地であったことが伺える)などが残されている歴史ある島なのです。


鯛の一本釣りで栄えた漁師町


沖家室の漁師は島伝統の「かむろ針」で一本釣り漁を行っており、その豊かな漁場で釣れる鯛は「かむろ鯛」と呼ばれブランドでした。

「かむろ針」の名残は、釣具屋などに訪れるとよく見かける「丸かむろ」という種類の針として現代にも受け継がれています。沖家室ひじき生産者のさかえも、師匠から一本釣り仕掛けを譲り受け日々修行中です!


竿で釣るのと異なり、手釣り仕掛けのため潮の流れや風などをよく読み、操船技術が必要となる釣り方です。


「かむろ千軒」「盆に沈む島」と呼ばれた島

海上交通の要衝であったこと、一本釣り漁業の先進地であったこと等により明治時代の人口はなんと3,000人以上、人口密度も国内最高でした。


朝鮮や台湾まで船を出すことに加え、沖家室出身者がハワイなどに移住し現地で起業。沖家室島にある蛭子神社の石柱には、大きな成功を納めた出身者による海外からの寄付の記録が残っています。


毎年お盆の時期には島外から関係者が大勢帰省することから、その重みで島が沈むほどと例えられ「盆に沈む島」と呼ばれています。それだけ沖家室ゆかりの方が多かったということです。


沖家室ひじきは、潮通しの良い豊かな海のブランド「かむろ」の海で育まれた新芽ひじきを活用して、最上の品を皆様にお届けできるよう精進してまいります。商品を手に取っていただきつつ沖家室島の風景を思い浮かべていただけますと幸いです。





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